https://news.yahoo.co.jp/byline/satoshihiramatsu/20170729-00073884/ (全文はリンク先見て下さい)
JRA
http://www.jra.go.jp/ 競馬ブック *7月31日発売の「週刊競馬ブック」にて復帰への道程をより詳しく記しています。
http://www.keibabook.co.jp/結果的に彼はこのレースに乗れなくなるのだ。そのレースの4レース前に行なわれた3歳以上・500万下の条件戦。
1番人気に応えるように勇躍直線コースを向いた時、悲劇が起きた。
「ぶつかった時の衝撃はすごかったです。そのあとは息苦しくなったのを覚えています」
後に骨盤を骨折し、肋骨も9本が折れ、そのうち3本が肺に突き刺さる重症であることが判明する。
しかし、彼がそれだけの重症であることを知ったのは救急車が手配されてからだった。病院へ移動するまでの少しの振動でさえ痛みが走った。
相変わらず呼吸は困難だった。病院に運ばれるや、全身にチューブが刺された。下半身は感覚がなかった。
そして、診断した医師からのひと言で、初めて自らの状態を客観的に見ることができた。
「『命があって良かった。歩けるように手術していきましょう』って言われて、あぁ、これは凄い怪我をしてしまったんだなって分かりました」
4日後の18日に最初の手術。1週間後に2度目、更にその2日後に3度目と、立て続けに施術された。
途中、耐えられないほどの痛みに襲われることもあった。
自分の状況に関係なく、毎週、普通に行なわれている競馬をみると、いたたまれなくなった。
「自分なんかいなくても関係ない小さな存在だと感じて、まともに競馬をみることができませんでした」
北海道から家の近くの茨城の病院に移るだけで1カ月を要した。その後も日がな一日病室で寝ているだけの入院生活が続いた。
やがて車椅子ながらリハビリ室へ行けるようになったものの、
はやる気持ちの三浦からすればまるでカタツムリの歩みのような自らの回復の遅さを恨めしく感じた。
更に決定的なことが起きた。松葉杖を渡され、ゆっくりながらも前進したかと思えたものの、実際にそれを使おうとすると……。
「足が震えてうまく立てませんでした。さすがにこの時は初めて弱音を吐きました。だって、立てないんですよ。
騎手復帰どころか普通の生活さえ出来るようにならないんじゃないか?って不安になりました」
そんな三浦を支えてくれたのが妻のほしのあきだった。
「『皇成なら大丈夫。やるだけやってダメなら仕方ないじゃん』って言われ、
まだ何もやらないうちから弱音を吐いていてはダメだと考えを改めました」
さらにお見舞いに来てくれる知人や手紙を寄越してくれたファンからの言葉にも励まされた。
1年間の休養中に5回の手術を行ない、両松葉杖をついても歩けないという状態から、リハビリを重ね、
やがて片松葉杖、そして、松葉杖無しでも普通に歩けるまでに回復した。毎日、ジムへ通い、「落ちる前に戻すのではなく、
以前よりも鍛えられた状態にした」。
7月14日には美浦トレセン内の乗馬苑で、あの悪夢後、初めて馬にまたがった。
さらに4日後には北馬場で調教に騎乗。誰も三浦のことを忘れてはいなかった。
彼を見かけた人は口々に「戻ってきたか?」「大丈夫か?」と声をかけてきた。
「やっといつもの生活が戻ってきたという気がしました」